患者さんの増加
すでに1960年代の終り頃から、
抑うつ状態で通院する患者さんがとても増えてきている、という報告が幾つもされていました。
そうした増えてきた患者さんの多くが、
主として「 神経症性うつ / 抑うつ神経症 」とされるものです。
「 神経症性うつ 」と「 うつ病 」とは、同じく抑うつを伴う病態ですが、神経症と機能性精神疾患というように、精神医学の業界では、別の病態として区別されています。
機能性とは、身体・臓器に具体的な病変・疾患は見当たらず、その働き( 機能 )に失調が生じている、と考えられているものです。
脳も、申し上げるまでもなく、臓器のひとつです。
神経症性うつ、ではなく神経症性うつ病、という云い方も時折見かけますが、それについては、中安信夫氏(精神科医)が、このように指摘しています。
・ ・ ・ おりおり見かける「 反応性うつ病 」「 神経症性うつ病 」という用語を用いないのは、まだ原因がはっきりとは分からないとはいえ、脳内の生化学的な失調が推測される「 内因性うつ病 」に限定して( うつ病という用語を )用いるべきであって、神経症の抑うつ型とでも云うべき疾患に対しては(うつ病というコトバを)使うべきではないと考えるからである ・ ・ ・
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「 抑うつ神経症 」と「 神経症性うつ 」とは、
実際の治療・臨床現場では、ほとんど同じように使われているものです。
うつ病ではなく、神経症性のうつと思われる場合には、一般にはたいてい抑うつ神経症という病名が使われます。
神経症性うつの中でも、「 反応性のうつ 」という云い方をする時には、たとえばパートナーを亡くしたり、大事なものを失う等のストレスフルな出来事と、抑うつ症状との発症関係が、一対一対応のように明確な、一時的・一過性的な状態像と考えられるものを指しています。
一時的・一過性的という言葉には、「 通常であれば、時が自然に解決してくれる性質 」のもの、という意味が込められています。
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もうひとつの「 抑うつ神経症 」
その一方で、主に精神分析畑の人たちが語る「 抑うつ神経症 」像があります。
強迫的な考え方だったり、あるいは強迫的な傾向や気質を持つ人たちが、そうした強迫的な生き方や行動の行き詰まりや挫折、として生じるに至る抑うつ症状・抑うつ状態を指すものです。
( このタイプの方たちの中には、そうした強迫的な気質や傾向の故に、かえって仕事で能力を発揮して、成果をあげたり、仕事上の成功を得る人たちがいます )
なにかのきっかけが在ったとしても、それよりも、ご本人の強迫的な生き方や行動による不適応 ・ いきずまりによる失調という、大きな文脈で生じてくる、より本質的な「 抑うつ神経症 」と云えます。
いきずまりや挫折の程度、そして、ご本人の強迫的傾向の程度によっても、状態像は軽症から難症まで、さまざまに見られることになります。
カウンセリングにいらっしゃるご相談者の中にも、上の意味での軽度な「 抑うつ神経症 」と感じられる方たちが、よくいらっしゃいます。
多くは、二・三回お話をしてゆくことで、なんとなく元気になってそのまま終えるような形になります。一方、継続して長く続けていかれる方たちも、少数ですがいらっしゃいます。
こちらの本質的な「 抑うつ神経症 」では、
失調の程度が重い場合には、抑うつも深く、時には自殺念慮もみられ、さまざまな神経症の状態像があらわれてきます。
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神経症性とは
疼痛管理ラファイエット、ルイジアナクリニック
カウンセリングにいらした方が、よく
「 医者からは神経症性のものだと言われているけど、自分はそんなに神経質じゃないんだけど 」とおっしゃることがあります。
この場合の神経症性とは、神経質という性格のことではありません。
「 神経症性うつ / 抑うつ神経症 」という場合の「 神経症性 」というコトバには、主に次の意味があります。
反応性・心因性による抑うつ状態が主たるものである、ということ。
心因性とは、なんらかの心理的な要因、
たとえば人間関係での強い葛藤や衝突だとか、
自分なりに努力しても認めてもらえない挫折感や孤立感。
物事が望むようにならない ・ 思うようにできない無力感や自信喪失感。
深い後悔や失望など、現実の葛藤やストレス、失意が重なり合う中で、思い通りにならないことが重なり合う中で、「 無力感や徒労感 」を深くし、抑うつ気分・抑うつ状態に陥っていったもの、と云えます。
このため、神経症性とは、薬物治療はあくまで補助で、心理的なケアや心理的治療が、治療のメインとなる病態、性質のもの、という意味があります。
しかし一方で、こうした患者さんの多くが、残念なことに、心理的なケアや心理的治療を毛嫌いし、あるいは回避しがちです。
あくまで( 薬物治療を含む )身体的な治療にこだわり続けて、慢性化の道をたどる方たちもいらっしゃいます。ちなみに、こうしたケースの中には、薬を挟んだ医者 - 患者の精神的依存関係の存在も、以前から指摘されています。
また、さまざまな(身体的)治療法を求めてさまよう方も、ときに拝見することになります。
・ ・ ・ 神経症性障害については、薬物は特に補助的な位置に立つ。それは、葛藤を未解決のままに遷延(せんえん/ 慢性化)させる。しかし、それは必ずしも悪いとばかりは云えず、場合によっては、そうしているうちに周囲の状況が変わり、問題が自然解消するかもしれない。
しかし、あくまでもそういうものであって、ただ漫然とした薬物投与、特にいわゆる無診投与、あるいはそれに近い状態は、薬物への精神的依存の生涯に陥らせかねない ・ ・ ・ 中井久夫
生きる意味が見出せない無気力感や空虚感によって、慢性的な抑うつ気分をずっと抱えて生きてきた、とおっしゃる人たちもいらっしゃいます。
ディスチミア親和型と呼ばれることがあります。
カウンセリングでお会いする方たちの中にも、「 もしかすると、子どもの頃から、軽度な抑うつ感をずっと抱えて生きていらしたのではないか 」と感じる方たちも、いらっしゃいます。
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昔からうつ病とされてきた「 うつ病 」とは、「 内因性うつ病 」あるいはメランコリー型と呼ばれてきたものです。
抑うつ状態というだけではなく、中枢神経系の疲弊と活動性の低下を示すものです。
中枢神経系の疲弊は、自律神経系のさまざまな抑制・抑止を伴うことになります。
( うつ病は、精神医学業界の分類では、「 躁うつ病 」という疾患単位で扱われており、躁が見られずに、うつ病の病態だけの患者さんを「 単相性うつ病 」と呼んできました。)
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神経症(性)の難しさ
うつ病治療では、患者さんが「(内因性)うつ病」か、それとも「 神経症性 」のものか、という大枠の診断(鑑別)が、まず最も重要なものとなります。
「 神経症性 」のものと「(内因性)うつ病 」とでは、
上に書いたように、治療やケアが、本来は異ってくるものだからです。
ニュージャージー州の社会不安の精神科医
・ ・ ・( 神経症性うつ/抑うつ神経症は )躁病は原則として認められず、慢性化の傾向が強い。躁うつ病としてよりも、むしろ抑うつ傾向の強い神経症と考えなくてはならないものである。
しかも、この病型は日常われわれが扱ううつ病者の中でも、高い比率を占め、最近顕著な増加傾向を示している ・ ・ ・ 木村 敏 1973年
・ ・ ・( 内因性うつ病は )経過は数ヶ月で予後は原則的に良好である。
「感情調整剤」と呼ばれる抗うつ剤が、他の病型に比してもっとも有効であって、ふつうはほぼ完全に病前の水準を回復することができる 。
ただ、以前から神経症的な傾向を持っていた人が、うつ病の発症後に不適切な治療や内奥に沈んでいた葛藤が表面化するなどして、二次的に「 抑うつ神経症 」へと移行する場合がある( 神経症化 )。
この場合には、経過は長引いてゆく・ ・ ・木村敏「躁と鬱」1990年
このように、実際の臨床・治療( 治療者の間 )では、
神経症(性)の病像の方が、むしろ治りや回復( 予後 )は難しく、時間もかかることが、よく認識されています。
神経症、ことに中程度から頑固な神経症は、さまざまな心理的葛藤 ・ 心理的防衛が複雑にその人の内面で絡み合い、経過が長期化しがちです。
河合隼雄氏(心理療法家)が、このように述べています。
・ ・ ・ 分裂病より神経症の方が心理療法が簡単であると安易に考えると、大変なことになる ・ ・ ・ 。
そのため、うつ病の経過の中で神経症化したもの、
あるいは、うつ病からの回復過程で神経症化した病像の患者さんの場合にも、長期化 ・ 複雑化しがちです。
そして、そのような患者さんは、たくさんいらっしゃるのが現実です。
そうして何故か、このような神経症化した病像の患者さんほど、「 わたしはうつ病だから 」と語りがちな傾向が見られます。
神経症(性)の治療回復のメインは、上にも書いたように心理的なケアや心理的な治療であり、薬物は従になっていきます。
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加藤忠史氏(理化学研究所・脳科学研究センター)は、
「気分障害の特集」の中で、次のように述べています。
・ ・ ・ ・ 以前は、精神科医も「うつ病は脳の病気であり、薬で治る」ということを啓発しようと務めてきたが、行き過ぎる結果を招いている。
とりあえず抗うつ剤という、画一化した医療が蔓延しているだけでなく、患者の側も、心の葛藤を、脳の障害であると訴えるようになってしまった。
いまや逆に、なんでもかんでも脳の病気ではないし、薬だけ飲んでいればよいというものではない、と啓発しなければならないところまで来てしまった。
・ ・ ・ こういうブラックユーモアがあるの。腕の痛みをとる一番確かな方法は、腕を切り落とすことだ、ってね。精神科のお薬の作用はちょっとそれに近い。脳の働きを抑えて悩みを忘れさせるんだから ・ ・ ・ 神田橋條治「発達障害は治りますか?」2010年
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軽症うつ病
「 軽症うつ病 」とは、
外来・通院治療で可能な状態のものを指しています。
すでに60年代の頃から、うつ病の軽症化が次第に云われ出していました。
神経症性の強い「うつ病」の患者さんが多くなってきた、とも云われたりします。
それに関しては、次の指摘がされています。
ユタ州の禁煙
・ ・ ・ 近年精神科の外来患者が増えるにつれ、外来を訪れる軽症のうつ病患者の数も多くなってきた。これら軽症うつ病の症状と予後とを正しく理解するには、重症うつ病の症状から類推だけでは十分でない。
Lange(ランゲ)は軽いうつ病と重いうつ病とでは病像が違うことを指摘し、両者を別に記述した。うつ病の症状が軽いほど患者の個性的な特徴が病像に及ぼす影響が著しく、重くなるにつれて個人的・個性的な色彩が希薄になり、うつ病そのものの症状が前景に出てくる。
(クレペリンは)軽症では(重い患者に比べたとき)抑うつ気分その他の精神症状よりも、身体的愁訴の方がより強く訴えられることが多いと述べている ・ ・ ・ 平沢 一 1964年
・ ・ ・ 一般に重症度が高い障害ほど、人類普遍な部分があって、診断的に分類しやすく、治療的にも定式化しやすい。軽症ほど、病像はその人の気質や性格、生育環境、生活環境などに左右されやすいのである ・ ・ ・ 中井久夫
つまり、障害や病が重症になるほど、その病や障害の特徴がハッキリ際立ってくるので、分類しやすく分かりやすくなる。一方、軽症になるほど、その病像はその本人の気質や性格傾向、生活環境等々の影響を受けるようになっていく。
要するに、軽症になるほど、一見すると神経症的な病像になっていくことを示しています。
うつ病では、妄想をきたして統合失調症と誤診されるような病像の患者さんがいる一方で、スマイリング・ディプレッションといって、人前では態度や振る舞いを崩さず、一人になるとひどく暗い表情に変る、というタイプの患者さんもいます。
・ ・ ・ 主観的な体験面での落ち込みが深いわりには、客観的行動面での異常が目立たない場合も多く、特に人前ではあまり行動の乱れを見せないために、本症の診断にはかなりの経験と知識を必要とする場合がある ・ ・ ・ 木村 敏
うつ病について
「うつ病」は中枢神経系・自律神経系の抑制があるために、涙も出てこない。喜怒哀楽の感情がそもそも湧いてこない病態です。
そのため、涙が出るようであれば「うつ病」ではないか、もしくは「うつ病」が軽快してきたかのどちらかである、と云われます。
・ ・ ・ 三十歳の主婦であった。産後うつ病と診断され治療を受けていたが、二年間改善せずに自殺を図ったため、近親者が連れてきた。
問診で意外に思ったことは、まず涙もろいことであった。さらに私は、二十分ほどの面接の間に彼女の気分をほぐして、笑わせるところまできた。こういうことはうつ病ではまずない・ ・ ・ ・ 中井久夫1986年
「うつ病(内因性うつ病)」とは、
たとえて云えば、その人にとっての生きてゆく内的な「支え・よりどころ」としてきた「何か」が、失われていくような状況の中で、徐々に厭世観に沈んでいくと共に、中枢神経系が疲弊し抑制されていった状態だと云えます。
中枢神経系の疲弊と抑制は、自律神経系活動の抑止へとつながるものです。
中安信夫氏は、昨今のマニュアル化してしまった診断治療の中で、抑うつが見られれば、なんでもかんでも「 うつ病 」と診断して、画一的な投薬治療を行なう状況を批判して、こう書いています。
・ ・ ・(うつ病と神経症性うつの違いは)顔見りゃ分かるじゃないか! というものであり、この点は一緒に聞いていた同僚もまったく同じで、期せずして、二人の口から同じ言葉が出たものであった。
たとえば、全般的に緩慢な動作や挙動。うつむきがちで萎縮した姿態や雰囲気。苦渋を呑み込んだような、同時に生気を失った表情。質問に対する理解に欠け、応答までに間があき、途切れがちな応答ぶり。ゆっくりした抑揚に乏しい小声など。
これらの表出(外観上の特徴)は、内因性うつ病の診断には必須のものであって、こうした表出の観察なくしては「うつ」の鑑別診断はできない ・ ・ ・ 「 内因性うつ病について想い起こすこと 」2009年
・ ・ ・ 抑うつ気分、自己評価の低下(自信喪失感)、趣味などに対する興味や関心の低下、などを入れていないのは、それらは「抑うつ反応」や身体疾患による抑うつ状態の時にもよく見られるものであって、「(内因性)うつ病」の特徴とはならないからである ・ ・ ・ 中安信夫
「うつ病」の病相期〈病気の特徴がもっともはっきり現われている時期〉では、ネガティブな感情に彩られた過去の記憶や出来事を、繰り返し繰り返し思い起こして、さらに深い厭世観に沈んでゆきます。
自分を責め、自分の不甲斐なさを責め、そして「とり返しのつかなさ感」に苛まれてゆくことが多く見られます。
そのため、うつ病では軽症であっても、かならず希死念慮を抱えている、と考えて対応する必要が在る、と云われています。
「うつ病」とは、抑うつ状態というだけではなく、深い厭世観の中で、中枢神経系が疲弊し抑制(抑止)されていった状態だといえます。
・ ・ ・ うつ病にみられる抑止は、思考・行動だけにとどまらない。
たとえば感情も抑止され喜怒哀楽が湧かない、表情も抑止される。それ相応の表情の動きに裏打ちされないので、話しが深刻であればあるほど、聞く者にはかえって伝わってこず、ひどく単調に感じられてくる。
これを「反響欠如」と呼び、この反響欠如性を内因性うつ病の一表象としたのはドイツのシュルテである 。
(うつ病の)抑止が心身の両域にまたがること。「涙が出ない」のも、自律神経の抑止( 唾液分泌の抑止・汗分泌の抑止・尿閉・便秘等 )の一環だと思う ・ ・ ・ 中井久夫
・ ・ ・ うつ病というのは自律神経系の不調和が、ほとんど必発であらわれるんだ。だから、たとえば、腹直筋の緊張とか、手の汗ね。手に汗かく患者さんがいたら、「これ足の裏まで汗かくと重症なんだけど、あなたの足の裏はどうですか」って聞くんです。それで「靴下が濡れます」とか云ったら、「そうか、だいぶ進んでいるよ」というふうにして、ひとつずつやっていくと共有できるんです。その時点では、うつ病と診断できない「疑い」の段階だけど、症状については共有していけるんです ・ ・ ・ 神田橋條治
こうした状態像の故に、「うつ病」では、初期治療として「休息すること」が必要とされるわけですし、「本人が余計につらくなるから、頑張れと励ましてはいけない」とされます。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
2008年の日本うつ病学会での特別招待講演で、神田橋條治(かんだばし・じょうじ)氏は、現在のうつ病治療を批判して、こう語っています。
・ ・ ・ 治療とは、治すことです。治すとは、医者に来なくてもいいような状態へ導くことです。それを目指した物語でなきゃだめ、そうでしょう?
抗うつ剤を出したら、これこれの症状が薄れた。しかし、その時もその後も薬は飲んでいるまんま。そんなのは治すとは云いません。
「抗うつ薬は松葉杖ですから、それで改善しても偽りの回復ですよ」と僕は患者さんに伝えています。
薬での回復は、仕事へ戻るためではなく、うつから回復してゆくための生活の工夫や、ひいては再発の予防の工夫、すなわち生活や生き方の変更をしやすくするためのもの、であることを強調します ・ ・ ・
薬は「治る」ためのものではなくて、症状を一時的に軽くすることで、回復してゆくための作業や工夫を、しやすくするためのものである ・ ・ ・ 。
こうした回復への考え方は、、どのような症状や病からの回復であっても、大切ではないでしょうか。
・ ・ ・(回復への心理的なサポートなしに)抗うつ薬だけを投与するのは、徹夜マージャンに励んでいる人を支えるために、覚せい剤を打ってあげるのに似ている ・ ・ ・ 神田橋條治「うつ病の回復過程の指標」1986年
こうしたことは、内科や婦人科などで
日常的におこなわれており、むしろそこで
さまざまな問題が発生しています。
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